■第10章(4)

松田が仕事中に手に火傷を負って帰って来た次の週末。自宅から少量の食材を持って、俊介は松田のアパートに向かっていた。
そういえばあの時様子がおかしかったのは、何だったのだろうか。
仕事で疲れていた?ミスをして落ち込んでいた?違う。朝、部屋を出る直前から何かおかしかった。寝坊はするし、変な顔で俊介を見るし。
「…俺か」
前夜に自分が松田をひどく抱いたのがそもそもの原因だ。と、俊介は思った。仕方がない、とも思った。なぜなら、これからという時に松田の携帯に電話がかかってきて、しかも相手は松田の彼氏で、目の前でデートの約束なんかするから。ついさっきまで自分とキスをしながら、表情を蕩けさせていたくせに。
だから無性にいらついて、もうやめてと懇願する松田を何度も組み敷いた。
(悪いことしたな…)
疲れもミスもそれが原因なら、自分は松田の仕事の邪魔をしてしまったことになる。今週は美味しい物をしっかり食べさせて、何もせずにゆっくり休ませよう。そう思いながら松田の部屋番号のついたポストを解錠し、いつものように鍵を取り出して、いつものように部屋に入った。
いつからか、週末はいつ俊介が来てもいいようにとポストに鍵を入れてくれるようになって。そんなことは彼氏のためにしてやればいいのに、やはり俊介が一人でいるのが心配なんだろう。一人でも生活できる自信はあるが、その厚意に甘え続けている自分がいる。
リビングテーブルの上には、松田の字で書かれたメモが置いてあった。
「『お腹が空いていたら、冷蔵庫に昨日の残りものがあるので温めて食べてください』…か。完全に母親だな」
俊介の母親は仕事でいないのが当たり前になっていたので、いつしかそんなメモも書かなくなっていたことを思い出した。
メモには続けて、こう記されていた。
「『日曜の煮物、ありがとう。うちの味みたいで嬉しかったです』……」
がさ、と持って来た食材を確認する。煮物にしても問題なさそうなものばかりだ。
「…ちょっと違うけど、いいよな」
誰に言い訳するでもなく、俊介は頭の中で今晩の献立を決定した。

土曜の混雑で遅めに帰って来た松田に出した食材違いの煮物は、それでも美味しいと言いながら食べてもらえた。
「マッチーさ、ほんとに美味いの、それ」
「ん?美味しいよ。俺こういう味、好きなんだ」
好き。
その一言に、少しどきりとした。
(じゃなくて、)
見る限り手の火傷も治っているし、今日は別段疲れた様子もない。食事も無理して食べている様子はない。このまま早めに寝かせてあげれば、明日は寝坊することもないだろう。
「ごちそうさま。結構食べちゃったかなー」
「あ、俺洗っとくからマッチー風呂入りなよ。で、今日は早寝」
何も言わなければ自分でやりかねない松田の手から食器を取って、流し台に片付けてしまう。
「うーん、食事から寝るまで時間空けないと太りそうだなあ」
食べ物が入ったばかりの腹をさすりながら、松田が苦笑する。
「いいじゃん、ちょっとぐらい太っても。マッチー最近けっこう痩せたし」
スポンジを泡立てて、食器に滑らせる。かちゃかちゃと洗い物を続ける間、後ろがずっと静かなのが気にかかって振り返ってみれば、松田は驚いたように目を丸くしてその場に突っ立っていた。
「俺…痩せた?ホント?」
「なに女子みたいなこと言ってんの。あんまり痩せると体力もたないんだからな」
痩せたと言われて妙に嬉しそうな松田を訝しむが、泡のついた手で食器が滑りそうになって慌てて向き直る。
その横を、松田が「まいったな…」と呟きながら風呂場へと向かっていった。

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