■第9章(5)

ポストを開けると、部屋の鍵は入っていなかった。
(まだいるのか…)
今日はもう、俊介と顔を合わせたくない。アパートの階段を上がることを躊躇してしまう。

――別にそこまでしてヤりたいわけじゃねーし…

朝の言葉の真意を知りたいと思っても問えるような関係ではないし、問うたところで本当に「飽きた」とでも言われようものなら立ち直れる自信がない。
会う度にしている訳ではないけれど、だからといってやはりセフレはセフレなのだ。メリットがなくなれば、関係を続ける理由はない。
松田がこの関係を甘んじて受け入れているのは、俊介に対する想いがあるからだ。では俊介はどうだろう。本来、俊介は生活のことは何でも自分で出来てしまう。松田が作ってやらなくても、自分で食事の仕度ができる。勉強だって見てやらなくても上位と言っていいくらいの成績をキープしている。
…セックスの相手が松田でなければいけない理由は、もともと全くない。
考えれば考えるほど俊介が自分と一緒にいる理由付けができなくなってきて、松田はポストの前に立ち尽くした。

「あれ、マッチー」
それは俊介が部屋にいたのなら十二分に考えられることで、帰宅するために階段を降りて来たところに見事に出くわしてしまった。
「あ、あ…っと、鍵ないなと思って、今帰るところ?」
開けたままのポストと俊介を交互に見て、さも帰って来たばかりのように振る舞ってみる。目を見たらへんなことを聞いてしまいそうで、視線はやや下向きだ。
「うん。あ、冷蔵庫のもんで晩飯適当に作らしてもらった。余ったのラップして置いといたよ」
「そう、ありがとう…気をつけてね、じゃあ、鍵…」
顔を見られないままに差し出した左手にはドライヤーの火傷に絆創膏が貼ってあり、俊介がそれを見逃すはずはなかった。
「どうしたの、これ」
ぐいと腕を引かれ、松田は慌てて抵抗した。俊介が引く方と逆に力を入れ、手を隠そうとする。
「たいしたことないから、仕事中にちょっとやっちゃっただけで」
「仕事で?」
俊介はすぐに腕を離してくれたものの、松田の言い分に眉を寄せた。
「ねえ、マッチーやっぱり疲れてんじゃないの」
「疲れてないって。それに俊のせいなんてことも思ってない…」
はっと口を噤む。しまった。自分で蒸し返してしまった。いくらずっとそのことばかり考えていたからって、これは仕事のミス以上に痛い。
「とにかく、別に何ともないから。ほら、鍵」
半ば強引に、俊介の手から鍵をもぎ取る。
「明日、予約の早いお客さんいるから…、気をつけて帰るんだよ、おやすみ」
【逃げる】という表現がぴったりだろう。後ろから名前を呼ばれるのも構わず、松田は部屋へと駆け込んだ。
リビングテーブルの上には、俊介の言った通りラップのかかった皿があった。
(まだあったかい…)
作って間もないのだろうか。キッチンの洗いかごにある調理器具や一人分の皿には、まだ水滴がついている。
ラップをはがそうと皿を持ち上げると、皿を重しにしていたのか、そこにはメモが残されていた。

 お疲れさまです
 待ってたけど腹が減ってしまったので先に食べました
 マッチーもしっかり食べてちゃんと寝てください
 明日は寝坊しないように

「…ばかか…」
メモの上にぱたぱたと水滴が落ちて行く。
涙が止まる頃には、皿はすっかり冷め切っていた。

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