■第9章(4)

「熱っ、」
「松田君、大丈夫?」
閉店後の技術レッスン。松田はブローの練習をしていたのだが、ぼんやりしていてドライヤーの熱を手に当てすぎてしまったのだ。店長が松田の手を取り、赤くなった所を確認する。
「あー、これはちょっと冷やしておいで。痛みが残るとシャンプーとか辛いからね」
「はい、…すみません」
やってしまった。営業中でなかったのがせめてもの救いだ。いや、今日はずっと仕事に集中できていなかったように思う。情けなくて溜め息が出た。
流水をあてて患部を冷やしていると、店長が冷却パックを差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「松田君、疲れてるのかな。今日はもう休んだ方がいいね」
そう言われて、各々のレッスンを続けている他のアシスタント達を見る。皆真剣そのものだ。自分だけが浮ついた気持ちでいて、しょうもないミスをして。これでは遅れを取ってしまう。一番新入りの自分が一番頑張らなくてはいけないのに。
原因は分かり切っている。今朝の俊介の言葉がずっと引っかかって、取れなくて、追い出そうとすればするほど頭の中がいっぱいになってしまう。
「…店長、俺、そんなに疲れてるように見えますか」
「え?」
「いえ、他の…友達にも、同じこと言われて」
目を伏せて床に視線を移す。
店長は松田の肩をぽんと叩いて、感慨深げな声を出した。
「松田君にも、そういう時期が来たんだなあ」
「そういう時期?」
「そう。学生の頃と比べると休みなんて随分減るし、とりあえず必死に突っ走って来て、ちょっと考えちゃう時期」
座ろうか、と促されて、待合の椅子に腰を掛けた。
「俺ね、一年目の時、突っ走りすぎて倒れちゃったんだよ。睡眠不足と栄養不足。疲れたとか言い訳だと思ってて、寝てないとか飯食ってないとか全然気にしてなかったんだよね」
若いだろ、と笑って、店長は続けた。
「何日か入院させられて、それでも俺は焦ってた。見舞いに来てくれたそん時の店長に『入院なんかしてる暇ありません』て言ったら滅茶苦茶怒られてさー。自分の状態すら把握できない奴がお客様を預かろうなんて百年早いとか言われて」
その後、この人がどんな努力をしてきたのかは分からない。ただ言えるのは、努力した結果こうして店を任されるほどになって、店の誰よりも忙しいはずなのに、誰よりも色々なことを把握しているということだ。
「今のは小さいミスかもしれないけど、ちょっとした綻びが広がって命取りになることもあるからね」
「あ…」
「無理はしないこと。いいね」
「…、はい」

帰り道を歩きながら、松田は考えた。
仕事のことで無理をしているつもりはない。ワークライフバランスなんて言葉もあるくらいだ、仕事一点集中が必ずしも良いとは言えないかもしれない。それに自分は睡眠も食事もきちんと取れている。
ただ今の自分には、俊介や正人の存在が、店長の言う「小さな綻び」のもとになっているのではないか。無理があるとすれば……

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