■第4章(3)

「今日入学式だったんだね、おめでとう。制服、大人っぽく見えるよ。似合ってる」
「ありがと」
シャンプーの間、他愛もない会話を交わす。
そういえば、形式的な式辞以外での「おめでとう」は今日初めて言われた。ここに来なければ誰にも言ってもらえることはなかったであろう一言。温かい空気が心地よく、急な思いつきでも来てよかったと思えた。

「はい、ありがとうございました。また来てね。じゃ松田君、お見送りよろしく」
店長から釣り銭を受け取り、松田に案内されて外に出た。
見るからに人の好さそうな店長、その店長を慕って集まったであろう美容師たち。この店は松田によく合っている。ほんの一時間ほど滞在しただけでそう思える美容院だった。
「店長がカットしたんじゃ、もう俺俊の髪切ってあげられないなあ…」
「えーなんで?正直、俺には違いとかわかんねーけど」
「しっ、聞こえる!」
松田は慌てたように口の前に指を立てると、店内をうかがってからほっと肩の力を抜いた。その様子を見ながら笑っている俊介を見て「全く…」と一言漏らすと、腰につけていた鍵を外して俊介に手渡し、
「俊、よかったらうちにいて。お腹空いてたら食べるものもあるから」
じゃあね、と急いで店内に戻った松田を引き留める間もなく、俊介の手には松田の自宅の鍵が残された。
(マスターキーだよなあ…)
表裏と返して確認したところスペアではなさそうなそれを見るに、俊介には松田の部屋で待つという選択肢しかないようだ。
(天然でやってんのか、あれ)
自分が使っていたお守りだったり、部屋のマスターキーだったりと、松田から渡されるものはいちいち重過ぎる。
それでもその重みをポケットに仕舞い込み、俊介の足は松田の部屋へと向くのだった。

「お邪魔シマース」
松田の部屋に入り、いつも通されるソファに腰掛ける。
冷蔵庫の中の物には手をつけず、途中で買ってきたペットボトルの清涼飲料水で喉を潤した。
簡単に鍵を渡した松田を不用心だと思ったが、彼の部屋はいつ来てもよく片付いていて、どこをどう探れば金目の物が出て来るのか検討すらつかない。
片付いているのは自分の家も同様だったけれども、松田の部屋は居心地の良さに反してどこか生活感がないというか、ストイックな印象すら受けるようだった。
「あ、でもマッチーの匂いするかも」
くん、と吸い込んで、ソファの背もたれに鼻を寄せる。いつも松田が腰掛けている場所だ。一人でいる時もここに座っているのだろうか、一朝一夕ではつかないような香りが染み込んでいた。
「いー匂い…なんだろこれ」
部屋を見回しても、ルームフレグランスの類いは目につかない。
ぼす、とソファに倒れ込み、深く息を吸い込む。ふー、と吐き出した時に感じた思いが「安心」の二文字であることに気づくと、俊介は跳ね上がるように身を起こした。
(違うって。疲れてんだ、俺)
ぎゅっと胸が絞まるような息苦しさにもう一度深呼吸すると、今度はソファに仰向けに横たわり、静かに目を閉じた。

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